2024.04.04 UPDATE
TALK SPOT 106
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フクモリ シン

2024年度太陽会標語

別無工夫 -別に工夫なし

 

大分の旅館を訪れた時、その旅館のご主人の幼なじみであった元ニュースキャスター筑紫哲也さんからのプライベートな手紙が額に入れられ展示してあった。ご主人の息子さんの結婚祝いに送った手紙にはこのように書かれていた。

『私の好きな言葉を二つ送ります。いつも、多事争論ばかり言っているのではありません。 一つは“自我作古”(じがさっこ)―我より古(いにしえ)を作る、と読みます。(中略)二つ目は、“別無工夫”―別に工夫(くふう)無し、と読みます。妙は、工夫をするより自然体が良いということです。活き活きと自然に暮してください』

“別無工夫”あれもこれもと創意工夫しながら複雑な仕組みを考えて、もっと上を見ようとする時代に、そのまま直訳の言葉がストレートすぎて目から鱗、心に残った。

調べてみた。臨済宗の禅僧、夢窓疎石の言葉である。「特別に修行(工夫)するのではなく、日常の何事も真剣に取り組むことこそが大事な修行」との教えです。あれもやりたいがこれもやらなければならない。と悩み計画を練るがなかなか整わない。このような状態のまま時だけが過ぎていく。そして、結果としてどれも成し遂げていない。あれこれ余計な心配などせずに、複雑に考え工夫することを捨て、各人がそれぞれ自分に与えられた場所で、真剣にものごとに取り組むこと、全力で向かうことは遠回りでも上手くいく。それがそのまま修行なのだ。シンプルなことだが俗人には欲があるから難しいのである。そういう意味でも無欲と繋がる修行となるという。

初代理事長 福森操の言葉を思い起こした。

『私が信条としている言葉がある。「やればできる」その時になればやるという心ではつい何事もなし得ない。毎日をその日暮らしで、将来は何とかなろうなどと漠然とした甘い考えは危険だ。人生は一歩一歩の積み重ねで、物事はすべて気付いたときがそれを行う絶好の機会であって、それをはずせば実行が困難になる。いつでもできるし「忙しいから」「やる気がないから」などと思う気持ちは怠け心であり、今やらねば先になったらやれるという保証はない。古来偉人は、陰日なたなく、現在を尽くすべきことに全力をあげた人たちである。現在の立場を喜んで、精一杯働き「今やらねばいつやれる」という気持ちをもって、生き抜くことが大事であろう』(続 現代鹿児島の百人/育英出版社/昭和55年発行 より抜粋)

今、学園のギャラリーでは利用者の藤村直樹さんの刺繍の展覧会「●のせかい」展が開催されている。約40年にわたり縫い続けているマルだけの刺繍。最初に、1メートルから2メートルの布をマジックで4分割する。その中に直径約4センチのマルを書く。そのマルの下絵にカラフルな糸で刺繍していく。出来上がった布は600枚ほどにも及びギャラリーの壁と天井を埋め尽くして展示されている。圧巻のインスタレーションは何も説明が要らない、素晴らしい空間がそこにあるのだ。本人は自分から展示を見にこないので、呼び出して展示作品について尋ねるが、本人はあまり興味を表さない。そこにある作品は本人にとってはもうすでに終わっているものだから、必要のないものなのだろうか。それにしても、多欲のないこの美しいエネルギーは考えて作れるものではないことは確かだ。理屈を考えない、内心から動こうとする小さな針目のマルの重なりは何万個にもなっている。大きなため息を何回もついた。そこには別に工夫なんてものはないのだ。自分に与えられたことに真っすぐに取り組むということの、日常の小さな決心を実行することの意味、継続の力を考える機会になった。

大きな目標のための小さな仕事ではなく、小さな仕事の積み重ねが一つの大きな精神的な充実や満足を作り上げる。真っ直ぐ縫える人は真っすぐに縫い、真っすぐに縫えない人は真っすぐでなくてもいい。作業場に向かう藤村さんは、自分の作品が展示してあるギャラリーの横を毎日通るのだが、立ち入ることはない。人の価値観の違いの面白さや時間の偉大さ、目に見えない環境の大切さを改めて受け止めて、背伸びせず自分たちの身の丈にあった新しい小さな一歩を踏み出したいと思う。